Pulse Oximeter(パルスオキシメータ)

酸素飽和度 SpO2の正常値

説明書によると、下記のように記されている。

 安静時での健常者のSpO2値は、96%~99%の範囲にあると言われていますが、疾患や体調、年齢など使用者によっても基準値は変わります。SpO2値の判断は医師・専門家の診断をうえけ指導を仰いでください。

 測定時のチェック項目には、下記があります。

□運動直後ではなく安静にしてからの数値を読み取っていますか?
□安静時に測定する時は呼吸や心拍が安静時に」戻っていることを確認し、数値を読み取っていますか?
□指は正しく挿入できていますか?
□マニュキュアや爪の病気で爪の変色がありませんか?
□強い光の下で測定していませんか?
□手足が冷たくなっていませんか?
□指がむくんでいませんか?
□数値が表示され20~30秒後の測定値が安定してからの数値を読み取っていますか?
 (呼吸器疾患などがある場合、測定値が安定するまで1~2分かかる場合もあります)

数値が高くでる・低くでる・測定値にばらつきがある

安静時での使用でも1%~2%は呼吸状態や測定姿勢によって測定差は発生します。
また、パルス沖氏メータの測定値が変動する要因は様々です。
●実際にSpO2値が変動している。
●指に正しく装着できていない。
●使用環境が適していない。
●機器の故障。

測定時のチェック項目を確認して再度測定してください。

以下の環境下では誤差が発生する可能性があります。
●強い光の下での測定。
●TVや電子レンジや携帯電話などの電子機器の近くでの測定。
●指先が冷えているなどして、血流が充分にない。
●マニュキュアや爪の病気で爪の変色があり光の透過を遮っている。

体温と同様に毎日測定しておこう

 コロナ渦の最中、ルーティーンとして、体温と酸素飽和度を測定しておき、体調の確認が必要になってきています。どちらも個人差があります。体温でも36度前後のひともいれば、37度前後のひともいます。酸素飽和度も個人差があるので、96%~99%が正常範囲ですが100%の数値が表示されたからといって、あたふたせず、冬場など寒い時期は指先が冷えていると数値が高くでたりしますので、再度、測定しなおしておくことが望まれます。詳しいことは、かかりつけ医と相談されるのが良いのではないでしょうか。


記録しておけば、おおよその通常時の体温と酸素飽和度がどれだけかが把握できます。
「一家に一台、パルスメータがあると良い」と感染症の専門家はいいます。
下記のパルスメータを購入して、さっそく使っております。参考まで。




モラトリアム世代

どの世代か

 1956年~1964年生まれの10年間の世代を指し、高度経済成長期を幼少期を過ごした世代であり、なんでもかんでも先送りをするひとが多いと言われている世代と呼ばれている。なぜ、先送りをする”あすなろくん”のようなひとが多かったのか。モラトリアム世代の親の世代といえば、昭和ひと桁世代であり、戦中と戦後の混乱期も過ごしてきており、いままでの価値観が180度変えさせられた世代。その子どもの世代に親の世代の常識が通用するわけではない。戦争自体を知っている世代と知らない世代との差がある。

旧人類世代はメランコ型、新人類世代以降はシゾフレ型が多い

 1955年以前の生まれの方は、頑張り屋さんのメランコ型が多く、新人類世代以降はシゾフレ型が多いと言われています。モラトリアム世代はどちらなんだろうか。これは個人差があるのでなんともいえないが、1965年前後以降を新人類とされているようですが、そうでなくて、1960年生まれ以降が新人類世代と呼んでも良いと感じます。モラトリアム世代でありながら新人類と呼ばれてしまう世代となります。

何でも先送り

 当然、昭和ひと桁生まれのひとが迷ってしまっているので、放任されたり、過保護だったりが多いように思えます。よって、モラトリアム世代にとっては、いままでの常識が通用するはずがありません。解決しようにない問題にぶち当たれば、『いまは解決できないけれど、しばらくすれば、良い解決方法が見つかるだろう。やむを得ないから先送りにしておこう。後日、解決するかもしれない。

 そう考え、行動してきている方は少なくないように思います。先送りにしてはいけないものまで、先送りとしてしまう。(1年経てば良くなるだろうとかあとでなんとかなるさ!という考えだ)

割れ窓理論(Broken Window theory)

割れ窓理論が発表され、1992年にNYPD(ニューヨーク市警)がその理論を元に秩序維持ポリシング(OMP)が実施されてきている。(参照1)

日本でも防犯のため、導入された例があるようです。

 昨今では、そのやり方が問題視されてきてる。黒人やラテン系への偏見で行っているのではないか。防犯効果は他にもあるのではないか等、影の部分が取りさたされてきています。

 些細な軽微な犯罪でも見逃さずに呼び止めて尋問し、そして身体検査をする。Stop,quetions and friskと言われる警備方法ですが、対象とする相手を先入観・偏見で行ったのではないかと云われている。白人至上主義があるのかも知れません。(参照2)

参照:
1.ニューヨーク市における犯罪の減少と秩序維持ポリシングhttps://yamagata.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1152&item_no=1&page_id=13&block_id=29

2.ニューヨーク市の最近のポリシング改革---Floyd訴訟連邦地裁判決後の取り組み---https://yamagata.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=4915&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1&page_id=13&block_id=29

些細なことを見逃し、問題の先延ばしするため、Too late(手遅れ)

 割れ窓理論が知られるようになったのは、1990年代なので、それ以前は解決困難な問題は先延ばしを選択されてきているようだ。どうすることもできない状態になって、気づき、対応しよとするがそのときは既に

 Too late(手遅れ、遅すぎる)

となってしまう。

過去を現在化するため、認知症や統合失調症か?と疑われる

 そう疑われるようなひとも少なくないのではないだろうか。いまさら、1980年代のころの問題を現在の問題のように扱うひともいるようですが、そういうひとは認知症や統合失調症の疑いをもたれるかもしれないので、メンタルヘルスの専門医を尋ねたらどうでしょうか。

モラトリアムなのは、その環境がそうさせたのか?

 モラトリアム世代は、当時の解決が困難な問題ほど、先送りしてきているようだ。それは、割れ窓理論も発表されたが、注目されたかどうかは1992年以降なら、注目されてきているが、それ以前は周知の事実にはなっていない。モラトリアム世代が当時、割れ窓理論を知っていたら、世の中は大きく変わっていただろう。どうしようもない困難の場合、先送りを迷わず選ぶのも無理が無いので、環境自体がそういう環境だったがために個人の力ではあがなえない。その世代がすべて、先送りをしたがるモラトリアムな方ではない、がんばり屋さんのメランコ型といえるような方もおられるし、他人任せの自分が無いシゾフレ型が多い。環境がそうさせたと考えるのが自然ではないだろうか。

シゾフレ型は被害者意識が強く被害妄想から責任転嫁まで

 シゾフレ型は自分がないので、他人と同じであれば安心すると言われている。自分の責任ではないといいつつも実は、自分がお荷物・足手まといを言っているのかを気にしていしまいます。

 責任転嫁されては、冤罪がおきるからやめて欲しいものです。

結論

 すべてではないが、モラトリアム世代はどちらかというとシゾフレ型のひとが多いように思えます。がんばり屋さんのメランコ型も少なくありません。現在と違って、当時はどうしようもない問題でも現在だったら、解決できたかもしれない。 必ずしも解決できるとは限らない。いまさら、言われても時は遅しでどうすることもできない事が多い。それでも責任転嫁してくるようなひとがいたら、”相手にしない”これが一番の対処法と言えるのではないでしょうか。

 いま現在の置かれている状況が他者のせいにすること自体、誤りではないでしょうか。自己の選択でそうなってきたのですから、自己責任としか言いようがありません。他者に責任転嫁は、横暴としかいいようがありません。他因自果でなくて、自因自果でしかありません。

参考書籍

日本人には「2つの性格」しかない:https://amzn.to/2WP2zwa

銃・病原菌・鉄(上下):https://amzn.to/3zlPesz

はじめに

デジタル化が進むにつれ、情弱( 情報弱者)であるがために不利益を被ってしまっているのではないか。他人事ではなく自分自身も 情弱者と云えるか。デジタルネイティブ(Z世代)のひとたちに比べたら、あまりにもアナログである自負しています。IT関連従事者なので、多少なりともデジタルデバイドを回避するのに役立てればと思い、サイトを立ち上げました。 情弱 を単にデジタル機器が使いこなせないと言うより、一般用語としての情報弱者として記事を書いていこうかと思います。

 ”こうだったんだ。これを知っておけば、こんなことにはならなかった”

を避けていければ幸いと存じます。