IQ神話

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駅前のパン屋さん

 2023.4.26 名古屋鉄道本線岐南駅東口を出たところ辺りにオープンしたパン屋さんは、いわゆる授産施設、障がい者が働いている事業所です。11時~16時の平日のみの営業ですが、午後2時ごろに店に入ると商品がありません。お店の人に聞くと、『全部売れてしまったので、ありません。工場からいつはいるかもわかっていません。』との事。ここは、食パンのお店、あんぱんはなくてもあん食パンがあります。当初、大丈夫なのか?と思えましたが、美味しいパンがあるとの評判で、少々値段が高いと感じても、すぐに売り切れてしまっています。リピーターが多いようです。
 障がい者が働いていようとなにひとつ問題は起きていません。客は、美味しい食パンがあるということで、順調なようです。ここは、社会福祉法人 さくらゆきが経営している障がい者多機能型事業所(生活介護・就労継続支援B型)  もみじの舞 製麺・パン工房さくらゆきの出店。

IQ(知能指数)

 知的障がい者かどうかの判定のひとつに知能指数が70以下であることもあるようです。それだけで、知的障がい者とは判定されません。

 IQ(知能指数)=精神年齢/暦年齢(実年齢) × 100
例えば、実年齢15歳ならば、
 精神年齢が15歳だったら、100
      20歳だったら、133
      10歳だったら、66
となります。

 よく、15歳時のIQ(知能指数)により、将来はほぼ決まってしまうものだ。と言われます。それを信じていたら、なにひとつ、やる気になれないのではないか。
これって、どうなんでしょうか。本当か?
 15歳時のIQがごくごく普通(平均的な数値:平凡な数値)であっても、その後、高学歴を得ることもあるのではないでしょうか。昔、神童、おとなになったら、凡人。ということも言われています。

人類のIQは上がり続けている

 知能指数に関する書籍を公立図書館から借りてきました。
[1] なぜ人類のIQは上がり続けているのか? –人種、性別、老化と知能指数 単行本 – 2015/5/28
ジェームズ・R・フリン (著), 水田賢政 (翻訳) https://amzn.to/3E3p1nA
[2] 知能指数 (講談社現代新書) 新書 – 1997/2/1
佐藤 達哉 (著) https://amzn.to/47FtaeM
[3] IQを問う―知能指数の問題と展開 単行本 – 2006/1/1
サトウ タツヤ (著) https://amzn.to/3qECtLt
[4] 知能と人間の進歩 遺伝子に秘められた人類の可能性 単行本 – 2016/6/15
ジェームズ・フリン (著), 無藤 隆ほか (翻訳) https://amzn.to/3KLjfL8

下記の書籍は、公立図書館に所蔵されているかは未確認です。
[5] IQ140まで測れるIQテスト2023:44,000人以上のユーザーが遊んだ解説付き問題集 (IQテスト Brainwork) ペーパーバック – 2023/6/18
宮野川 裕也 (著) https://amzn.to/3KL1njb

IQ神話

IQが高いほうが良いとは言われる。精神年齢が高いつまり、発達が早いことを示すからのようです。ですが、IQが高ければそれでよし、と言えるのだろうか。神経神話の類ではないだろうか。
 なにかと『キョウイク、きょういく』(ここでは、漢字の教育を使いません)という人がいるが、そのひとは、本音は、『まともな教育を受けてきておりません。再教育してもらいたいです。』と訴えているのではないだろうか。
 『誤った同一化機制をするとギャング(銀行強盗:犯罪者)になる』は、史実からわかっていることです。アメリカ映画にもなっています。『誤った同一化機制をするとギャング犯罪者)になる』と聞いて、ギャングを遊び仲間と解釈するひとが『キョウイク、きょういく』と言うのだから”常識が非常識”となっているようだ。

 学習指導要領は、10年ごとに中央教育審議会で審議され、更新されます。更新作業に関しては、審議委員だけでなく、教職員も参画するそうです。小中高の教員などが、『キョウイク・きょういく・教育』と言う。それならば、どうすれば、IQを上げていけれるのか?つまり、精神年齢を上げていくことができるのか?を周知してもらいたいものだ。”脳トレ”をやれば良いのか?

 暦年齢(生活年齢)と精神年齢以外に社会的年齢もあります。社会的年齢は、見た目年齢とも言われている。スーパーのレジを通る際、見た目が子育て世代とその親がいて、親がその子の分までお金を支払っていると見られたら、子育て世代のひと『おとななのにいつまで、親のすねをかじっているのだろう?』と疑いの目で見られてしまいます。そのときの見た目年齢のことを社会的年齢というそうです。

なぜ、学校の先生は嫌われるのか

1.なにかと評価したがる
2.偏差値でしか評価しない。偏差値のもとの平等だと信奉している
3.きっかけがあれば、偏差値コンプレックスを解消のため、八つ当たりする
4.知っている時のままだと思い込んでいる(小学生のころのことを知っていれば、小学生扱いする)
5.学校教育で習ったことがすべてだと信じている
6.世の中が悪いのだとなんでも責任転嫁する
7.●○校の出身にはこういうひとがいる等の出自による差別をする
8.誹謗中傷する
9.淫行や盗撮等をおこなう

ぐらいでしょうか?
3は学校の先生以外にもいるのではないか、そうなると、小学校低学年生レベルのガキのケンカをやっているようなものとなります。8や9は論外、れっきとした犯罪です。教壇に立つ資格があるわけがない。

 なにかと偏差値で見たがるからか、それでしか他人の評価をしない。
それを嫌うのも当然ではないでしょうか。

 学校の先生は、偏差値コンプレックスのかたまりのようなものだ。
IQ神話を信じきっている。

新しい知性観

[2] 知能指数 (講談社現代新書) 新書 – 1997/2/1
佐藤 達哉 (著) https://amzn.to/47FtaeM の最終章にあるくだりを紹介します。

 あるひとの行動を知能という概念によるものとするのでなく、そのひとのいる条件(状況)、行動、その結果という三つの項目について考えることで全体的に把握することこそ、新しい知能の見方なのである。「知能という概念を否定していて、何が知能だ」ということにもなるかもしれないが、特に人と接する仕事をしている人たち(教師、保健師、福祉士などの対人関係職)にとっては、IQをあてにしたり、あるいは、自分の見方に絶対的な自信をもったりするよりははるかに有効である。
「バカな子」とラベルを貼るのでなく、能力のせいだとあきらめるのでなく、その人の置かれた条件や、その行動がもたらす結果について全体的に大切なのである。こういった考え方はIQという単一指標で人間を捉えることに対極にある。
 
 IQや偏差値や学歴などの単一指標でひとを捉えるのはおかしいのではないか。その人の行動や実績等を見ないと正しい評価とは呼べないのではないだろうか。そう考えてもよいのではないだろうか。

 例えば、世の中には、東京六大学を出ていないという学歴コンプレックスからおかしな行動をすると見られるひともいるようだ。学部卒のひとの評価は、そのひと個人の評価。大学院以上の高学歴者は、大学の評価ともいわれている。それだけ大学院へ進学するひとが少ないためだ。それなのに、○●大学卒(学部卒)だから云々というのも偏差値・学歴という単位指標で捉えていると言える。

 実社会に出てからどれだけのことをしてきたかの方が高く評価されるのが常なので、「○○大学出たんだぞ!」と驕るバカは論外とも言えるのではないか。

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